藤枝市は、令和6年1月1日に、昭和29年の市制施行から70年、そして大正13年を起源とするサッカーのまちとしての歩みも100年となる記念すべき年を迎えました。
これまでに数多くの偉人たちが藤枝に関わってきました。
このコーナーでは、藤枝に纏わる様々な偉人たちをご紹介していきます。
天神屋から好光人形店へ 晩年に等身大雛人形制作
平成18年から展示公開
毎年2月、藤枝市岡部町の大旅籠柏屋で、等身大の雛人形が展示されます。 全国的にも大変貴重なこの等身大15人飾りは好光人形店の2代目薮崎好光が制作したものです。 平成17年、薮崎家から寄贈され、翌18年から柏屋で公開されているものです。
父竹治郎が人形師に
薮崎好光は明治34年、薮崎竹治郎の長男として志太郡岡部町に誕生。 名を好太郎といいました。
父の竹治郎は藤枝町横内の「天神屋」の養子となり、天神人形を作っていました。
岡部尋常高等小学校を卒業した好太郎は、人形作りの手伝いの傍らお茶の時期は才取りという仲介業をし、時間のあるときは、知り合いの長唄の師匠に踊りや三味線を習いました。 こうした所作の習い事が後年の人形作りに役立ちました。
活人形への憧れと好光誕生
20歳になった頃、常々興味を持っていた本物の人間のように見える精巧な等身大の活人形を造りたいと藤枝の早川鋪六に弟子入りし、3年間学びました。 しかし、その後は、雛人形師としての道を歩みました。 店の名も好太郎の「好」と「女の子が光る」の意味から「好光人形店」とし、昭和32年には自らの名前も「好光」と改名しました。
一方、昭和34年に東海節句人形協会会長、同41年静岡県節句人形製造協同組合理事長となり、業界をけん引しました。 そして60を過ぎ、再び等身大活人形への情熱が沸き起こります。 改めて一から学び直すこと4年余。 昭和43年、岡部小学校の講堂で15人飾りが展示され大反響を呼び、浜松の松菱や静岡の田中屋(伊勢丹)でも公開されました。 当時50体近くあった等身大活人形のうち15体の雛人形が今、柏屋で展示されています。




