藤枝市は、令和6年1月1日に、昭和29年の市制施行から70年、そして大正13年を起源とするサッカーのまちとしての歩みも100年となる記念すべき年を迎えました。
これまでに数多くの偉人たちが藤枝に関わってきました。
このコーナーでは、藤枝に纏わる様々な偉人たちをご紹介していきます。
前衛書道家・櫻井琴風
黒木拝石(はいせき)・上田桑鳩(そうきゅう)に師事
櫻井琴風は、大正3年10月志太郡青島町(現藤枝市)に櫻井圭治郎の長男として生まれました。本名は、桂一郎。父は、通運会社に勤め、晩年は青島町会議員などを務めた人物でした。昭和5年、静岡商業高校を卒業し日本勧業銀行(現みずほ銀行)に勤めました。この頃、黒木拝石・上田桑鳩の2人の師と出会い、大きな影響を受けました。昭和18年、全書壇が統合した大日本書道報国会展で2年連続特選となります。昭和23年毎日書道展で特選首席、書道が初めて加わった日展で初入選し、以来4回入選しました。
「東海に琴風あり」の評
学生時代より注目を受け、「東海に琴風あり」と評され、前衛書道家として全国に知られる存在となりました。昭和43年、銀行を退職。民間会社の役員を経て、昭和50年から書道に専念します。この間に地域で書を教える琴風会が発足。明るく豪放磊落(ごうほうらいらく)、ほめ上手で几帳面な人柄は多くの人から好かれ、慕われました。全日本書道連盟参与、静岡県書道連盟顧問、毎日書道展審査員・大賞選考委員など書道界の他、藤枝市の文化協会、国際友好協会、藤枝文学舎を育てる会の各会長職を務めました。昭和55年、東大寺昭和の大修理に際し納経筆者に指定、昭和59年高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)の依頼により、弘法大師御入定千百五十年御遠忌大法会(ごおんきだいほうえ)の「昭和の散華(さんげ)」を揮毫(きごう)しました。
脳梗塞後も左手の書発表
平成10年、脳梗塞で入院、その後、順調に回復しますが平成14年に再発し、以後、闘病生活を送ります。しかし、平成16年、左手での書を発表。その書への情熱は師・上田桑鳩の言葉「書は命を表現するものだ。生きていることを表現しているのだ」をまさに実践したものでした。晩年、書院には、芹沢光こうじろう治良の言葉「姿は老いても心は若く美しく」が掲げてありました。平成22年11月13日逝去。享年96歳でした。