【長唄・六代目 芳村伊十郎】豪快な芸風で一世を風靡

藤枝市は、令和6年1月1日に、昭和29年の市制施行から70年、そして大正13年を起源とするサッカーのまちとしての歩みも100年となる記念すべき年を迎えました。

これまでに数多くの偉人たちが藤枝に関わってきました。

このコーナーでは、藤枝に纏わる様々な偉人たちをご紹介していきます。

藤枝大祭の基礎を築く 長唄・六代目 芳村伊十郎 

芳村伊十郎は、安政5年(1858年)12月17日に藤枝宿左車町の大工小田惣蔵の長男として生まれました。 本名は小田徳蔵といい、後に鵜沢せいと結婚後、鵜沢姓となりました。

長唄を始めたのは、8歳の時です。 藤枝の杵屋正太郎から手解きを受け、明治4年には静岡に隠居した3代目富士田千蔵に弟子入り。 5年、後に9代目市川団十郎となる河原崎権之助が静岡の小川座で東海道巡業の折、「富士田千平」の名で初舞台を踏みました。

 

金五郎、伊四郎から伊十郎に

明治8年、上京して杵屋長四郎と知り合い、5代目芳村伊十郎を紹介されました。 初めての訪問の時、伊十郎から「何かやってみな」といわれ、「老松」を唄うと、「いい声」だとほめられて弟子入りを許され、「芳村金五郎」の名をもらいました。

明治9年、新富座の初春興行に出演、同16年には「5代目芳村伊四郎」に。 同26年、師匠の5代目伊十郎の家元6代目伊三郎相続と同時に「6代目芳村伊十郎」を襲名しました。

大正7年には、「6代目芳村伊十郎一世一代記念長唄演奏会」を開催して、大喝采を受けました。

伊十郎は豊かな声量と豪快さで知られ、特に十八番の勧進帳は他の追随を許さず、9代目団十郎と伊十郎の勧進帳は別格無二でした。 大正11年「8代目芳村伊三郎事6代目芳村伊十郎」として家元を相続しました。

 

伊十郎と藤枝大祭

伊十郎は、若い頃から故郷藤枝の広幡青山八幡宮や島田の祭などにも出演。 「伊十郎思出噺」によれば、明治15年の青山八幡宮の放生会の大祭に金五郎として出演した記述があります。

大正5年の飽波神社大祭では、家元の伊三郎、伊十郎、金四郎、杵屋栄次郎らが参加、「大薩摩」の大提灯を掲げ、屋台には「芳村伊十郎」の旗が立ち、大手の辻から左車町内まで伊十郎の声が届いたといわれています。

大薩摩(おおざつま)を唄う伊十郎

 

晩年は藤枝別邸鬼狸庵で

晩年の伊十郎は、西益津村田中にある別邸「鬼狸庵」で悠々自適の生活を送りました。

蓮華寺池に桜の若木を300本寄贈したり、藤枝町で募集した小唄の作曲をしたりしました。 別邸の庭には、伊藤博文が伊十郎の技を称えた歌碑がありました。

昭和10年9月、初代花柳壽輔33回忌追憶舞踊会で吉原雀を演奏中、脳溢血のために倒れ、10月3日永眠、享年78歳でした。 法名壽徳院長生安楽居士。

飽波神社には、伊十郎が奉納した「勧進帳」の絵馬があります。 伊十郎の死後、藤枝との縁が途絶えていましたが、平成13年から6代目の曾孫にあたる「8代目芳村伊十郎」が藤枝大祭に参加し、藤枝に稽古場を設け指導にあたっています。

伊十郎奉納の絵馬(飽波神社)

 

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